遅すぎるなんてこと自体

新しく何かを始めるコトに対して、遅すぎるなんてことはない。要はやる気の問題でしかない。

 

 

新しく何かを始めるときには、すごくエネルギーを使う。それまで他の何かを仮にやっていたとしても、新しい何かの中じゃ初心者。いきなり無力な丸腰状態になってしまう。妙に年重ねると、それが気恥ずかしいように思えたり、失敗を恐れたり、周りから指弾されることを嫌がったり。

 

 

贅肉は、身体を守るためにつくものらしいけど、心にもつくものらしい。つまんないプライドとか、見栄とか、意地とか、そういうもののこと。ちっぽけでつまんねえ自分の心を守るための。

 

 

そういう奴らは必ずなんかあると決まって「始めるのが遅すぎた」ってのたまう。

 

 

ある意味正論。時間は逆戻りしない。身体も心も、若くはならない。

 

 

でも、そんな普通な話、別に意味なんてないと思う。年を重ねれば強くなることや考えられることだって沢山ある。人間らしい創意工夫で乗り越えることだって出来る筈。問題はその乗り越える作業をしようと思えるかどうか。俺は、「遅すぎた」とか、「無駄だ」とか、そうやって逃げて負け犬になるのは、正直イヤだ。

 

 

始めるのが遅かろうが、ブランクがあろうが、それは関係無いんだ。なりたいもの、欲しいものがあるとき、それを全力で手に入れようって思えるかどうか。恥ずかしいかもしれないけど、負け犬でいる人生はもっと恥ずかしい。

 

 

身体に限界があるとしても、もっと伸ばせるものだってある筈。遅すぎたなんてことは、絶対に無いんだ。

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