持ち主のないギター

先日、神楽坂の「竹ちゃん」っていう飲み屋で痛飲した。3年前に亡くなった友人の命日の記念だった。そいつが亡くなったと聞いたとき、あまりに突然のことに言葉も無かった記憶がある。3年前の記憶でもこれは確かだ。

 

 

そう、いつでも最期なんて突然なんだ。誰にとっても。

 

 

前に雑誌でthe pillowsの山中さわお氏が「キリのいいとこで最期なんかこない」みたいなことを言っていた。確かにその通りだ。ひとつの大きな成功や手応えをつかんだところでマンガや映画みたいに最期が来るんなら人間の生き死になんて意味なんか無い。

 

 

一方、自分が誰かになることもできないし、その逆だって有り得ない。死ぬまで自分がやるしかない。自分の人生に責任を負えるのはただ独り、自分だけ。「社会が」とか「経済が」とか言っても、その中で何をなすのか、負け犬になるのか選ぶのは自分以外有り得ない。人は選んではくれない。

 

 

時間は放っておけば淡々と流れていくだけ。キリの良い場面、ここが最期だったらかっこいい場面でも、それは止まらない。死ぬまで自分で突き進むしかない。やりたいこと、やるべきこと、やれること、やらなきゃならないこと、全部ひっくるめて抱えて歩く。死ぬまで。

 

 

だから、自分の意思で「やりたいこと」を見つけて、それがやれる環境って素晴らしいんだと思う。1年前、バンドも無く、楽器も錆びるままに任せてた頃、今の俺の姿を想像することはなかった。上村や祐介と音を出してライブやるなんて考えもつかなかった。でも、偶然見つけた。また発見してしまった。バンドの楽しさとか、音を出す悦びみたいなやつ。これはやっぱり俺の「やりたいこと」なんだと。

 

 

いつ最期が来るかなんて、わかんないし、わかりたくもない。はっきりいって、どーでもいい。だけど、いつくるかわかんない最期を迎えたときに惨めな想いをするのは御免だ。ファックだそんなもの。酔っぱらいでも、だらしなくても、何と思われようと、俺のやりたいこと、やるべきことを、今は目一杯やるんだ。後悔なんて、そんな暇はない。

 

 

とりあえず俺にはまだ時間がある。まだまだやれるし、続けられる。

 

 

本当に生きてるって素晴らしいぜ。死ぬまでいきるぜ。

 

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