プロ

どんなものにでもプロはいる。しかし、プロという言葉は曖昧模糊としていて実感に乏しい。

プロはプロフェッショナルの略語で、専門家とか求道者みたいな意味を持つ。要はひとつの分野を深掘りして、かつそれを他人が価値あるものとして認めたところからプロになる。

野球選手や大相撲の力士は、言わば競技を突き詰めて追い込んで極めたからこそプロフェッショナルの称号を得る。それぞれの世界で競争はあるものの、まずなることすら難しい世界。故に彼らはプロフェッショナル。

そんな雲の上のプロフェッショナルを睨みながら、身近なとこにもプロフェッショナルはいる。我々の豊かな暮らしはプロフェッショナルによって成り立っている。

例えば、お米とかお魚とか、自分達じゃあ作れない。そこでプロフェッショナルの登場。美味しいお米やお魚を見極め、かつ適切な価格で仕入れ、提供する。この過程がいい加減だと、食卓が荒れて、生活が荒む。食べ物のプロフェッショナルは、生活の豊かさにつながる。

他にも、車のプロフェッショナル。作るのは作るプロフェッショナルの仕事。売るのは、売るプロフェッショナルの仕事。車は一度買えば何年も付き合う。だから、パーフェクトな仕事を成されて、安心安全な状態の車を、誠実で心底車とオーナーのことを考え抜いたプロフェッショナルが売る。
いい加減な仕事で作られて、いい加減なセールスマンが売った車は、長年の不幸の原因になる。

他にも、笑いのプロフェッショナルというのもいる。そこにいる人間がどんな不幸の底にいても、その場だけは笑いを生み出す。

じゃあ、音楽のプロフェッショナルってなんだろう。

突き詰めた先に価値を生じせしめるものかな?

確かにそういうミュージシャンもいる。ベートーベンは耳が聴こえないのにあれだけの曲を作った。頭の中にピアノと楽譜が出来てしまうくらい打ち込んだからだろう。
演奏者としてもリストやパガニーニ、ジミヘンみたいな偉大なミュージシャンはたくさんいる。ストイックに、人生かけたミュージシャン達だ。

この人たちは、誰かに強制されたわけじゃない。単純に好きだから、から始まったものが、ここまで導いた。才能は元より、好きって気持ちでやりまくったら、すごい世界にたどり着いた。

求道者ってよりも、殉教者か。

結局、いかに愛せるかなんだろうね。
車でも、お米でも、お魚でも、笑いでも、音楽でも。
いかに自分のやっていることが好きで、その上で知り尽くす。ベースには愛しか無い。その気持ちが人に伝わったとき、理解を生むんじゃないだろうか。

だったら俺たちはバンドのプロフェッショナルを目指したいし、そうありたい。金持ちになるとか、音楽で成功するとかじゃなく、聴いてくれた人がちょっとでも楽しい気持ちになったり、バンドの楽しさが伝わって、自分もやってみようとか思えたり。

三人で出す音が大好きなんだ。
でも、まだまだだ。
愛はそのままに、もっと突き詰めた先に何があるのか。

それが誰かの幸せにつながっていて欲しいなあ。

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