正しい表現と伝わる表現

一般的に正しいとされている表現が、「伝わる」とは限らない。

この間、電車の中でとある広告を見て考えた。

その広告は、ある大学のもので、「なりたいものは、小学校教諭の私」みたいなコピーが使われていた。

 

・・・違和感。

 

ビジュアルは、もっと等身大で身近なイメージのものを志向しているのに、言葉が堅すぎる。

というか、「小学校教諭」は表現としては無理がある。普通は「小学校の先生」くらいだろう。

 

説明として正しいものは、「小学校教諭」なんだろう。だけど、その言葉を使う事によって、表現の中の大切なエッセンスを奪ったように思える。

教諭なんて、普通は使わないような縁遠い言葉を選んだことによって、その広告自体が本当は伝えたかったメッセージも伝わりにくくしている。

表現としては「正しい」筈なのに、「伝わらない」表現を選んだってことだ。

 

音楽でも、往々にして同じようなことがあって、音楽理論上は間違い(或は理にかなっていないとされる表現)でも、それが「良い」と思えてしまう事例は数多くある。

もっと言えば、演奏なんかむちゃくちゃなのに、妙な感動を呼ぶような表現だって数多くある。

 

そもそも人間の感情自体、合理的な説明もできないいい加減なものである以上、主観に依存する表現が「正しい」なんてこと自体多分おかしいことなんだと思う。

表現が「正しさ」という言い訳を見いだしたとき、或はそこに壁が産まれるものかも知れない。

 

 

あああ、眠い。もう寝よう。

 

あ、鴨の恩返しもよろしくです。11月10日!

 

 

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