言霊体験

なるべく良い言葉を発したいと思っている。言葉は影響するから。

良い言葉は良い風に、悪い言葉は悪い風に。空気を伝って飛んで行く。

今日は世の中的には衆議院選挙の日。いろんな人たちが街角で、それぞれの想いの丈を言葉にして発している。

どれも、本当に良い言葉。主義主張や好き嫌いは置いておいても、ポジティブで力強いメッセージだ。

その気持ちが皆共通なら、本当は協力し合えるだろうと思うけど、明日からは足の引っ張り合いを始める。

ヘゲモニーなんていうつまらない言葉じゃなく、本当に必要なのは日本をどうやって良くしていくかなんじゃないかなって思う。

良い言葉を街角で発していた人たちは、今度はその言葉を、人を非難したり、揚げ足を取るために用いる。

そこで使われる言葉は、今度は武器になる。人を呪ったり、傷つけるための武器に。何度も何度も繰り返されてきた歴史。

だから今日は、なるべく奇麗な言葉を発したいと思う。

俺は子どもの頃から宮沢賢治が大好きだ。銀河鉄道の夜は誰でも一度は読むだろう。俺も読んだ。言葉がとにかく幻想的で、静かで、不思議な魅力に満ちている。

宮沢賢治は短い一生の中で数多くの物語や詩を残した。それは呪詛や怨嗟とは無縁の、瑞々しい世界の風景が言葉として羅列されている。

特に好きなのが「心象スケッチ 春と修羅」のタイトルチューン「春と修羅」。

こんな詩。

春と修羅 (mental sketch modified)

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽くわんがくよりもしげく琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃の風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれてどこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたりひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ

 

読んでいるだけでもいい気分になるけど、敢えて声を出して読んでみた。

かなりたどたどしくて非常にお恥ずかしい限りです。

(バックでキンクスが鳴っていますが、気にしないでください・・・)

さて、実際に声を出して読んでみたら、何となく静かな空気が自分の中に満ちてくるような気になる。

言葉の力。所謂「言霊」っていうんでしょうかね。いい力を感じます。

言葉には、本当に力があるって思う。良い言葉、美しい言葉にはやっぱり特殊な何かがある。

明日からどういう世の中になろうと、人を呪う言葉だけは発しないでおきたい。

そういう気持ちが新たになりました。

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