「生きている化石」(音楽編)

「化石」は、生き物の肉体が、死後に成分が鉱物と置換してその痕跡を留めたもの。鉱石として地球と一体化した生き物という言い方もできると思う。

 

 

ザ・ブルーハーツというバンドがある。

僕は13歳の頃に彼らの「音」を初めて聴いて、衝撃を受けた。世界がひっくり返った。僕にとっての天地開闢は、まさしくこの「音」から始まる。僕は、ここから始まった。

やがて、ディープパープルに出会った。

高校生の頃に聴いた。パンクしか無かった僕の音楽の中にHR/HMの嵐を巻き起こした。「テクニカル」という概念でこのバンドを捉えるのは後付けで、とにかく「激しい」「カッコいい」という単純化された捉え方だった。これはもの凄く大きな出会いだった。音楽と日本語が切り離された。世界が一気に広がった。そこから19歳くらいまで、御茶ノ水でCDを漁る日々が続く。探し物は、主にDPのブートだけど、関係のありそうなものは片っ端から聴いた。中にはたまたま「同じスタジオでレコーディングしていた」とか、「ドラムセットが同じものを使用した」なんていうものにまで手を伸ばした。伊藤政則氏が現人神として君臨していた時代だった。いつのまにか、バンドをやりたいと思うようにもなっていた。

そして、ザ・フーに出会った。

ハードロックに傾倒していた時代に偶然「Who’s next」を手にいれた。最初は何だか分からなくて、一回聴いたら後はそのまま。聴かずに放置していた。二十歳くらいのとき、一瞬ハードロック系への傾倒がやや薄らいだとき、何と無く聴いて自らの不明を恥じた。こんなすごいものを放置していたなんて。このバンドでベースを弾いているヒト(ジョン・エントウィッスル)に産まれて始めての「憬れ」を感じた。

 

 

そして今に至る。

 

 

様々な経験が降り積もってできた地層のようになった「感性」は、これ以外にも数えきれ無い音楽が体積して出来ている。その中に、自分と一体化したけど、明らかにその形をとどめたものが見え隠れしている。しかも、それはフレーズや曲を通じて外界ににじみ出る。ときにはほぼ「そのまんま」出てくることが多いと感じている。

 

 

昔は、それは恥ずべきことのように思っていた。オリジナリティが無い事と同義のように思えて。でも、それはカンチガイだった。「そのまんま」かも知れないけど、それは確かに自分の中にある。言わば、「音楽の化石」なのだ。どこまでいっても自分は自分。価値観が変わるくらいの影響を受けた「音」は、自分の中で生き続けるものだった。

 

 

僕は、ヴードゥー・ダック・スターズで始めて曲を出し、今も何曲か仕込んでいる。自分だから気がつく「そのまんま」は本当に多い。当然、オリジナリティは追求したいけど、一方でこの発掘みたいな作業が真新しくて、面白い。昔の自分をちょっと可愛いと想いつつ(笑)

 

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