3/26 さくら学院(The Road to Graduation 2014 ~ Be ambitious, Memorial Summit ~):TSUTAYA O-EAST

さくら学院に関してのチケット運は、自分では良いと思っていない。

公開授業は前回のブログで書いた3/7までは全敗だったし、今回書く3/26も同様。ところが救いの手を差し伸べてくれる方がいた。余ったから譲っていただけるという。本当にありがたいお話を二つ返事で受け、僕はこの日を迎えることができた。

 

さて、僕にとってはこの日が初体験ということもあって、全てが新鮮。

 

ライブ前の注意事項を伝える影ナレを3年生の4人(水野由結さん、菊地最愛さん、田口華さん、野津友那乃さん)が担当することであるとか、セットリストを「プロデュース委員長」である水野由結さんが考えることであるとか、様々な部分に「自分たちで考え、やり遂げる」という哲学が散りばめられていた。特にセットリストはバンドによってはつかみ合いになる(ところもある・・・ヴードゥ・ダック・スターズは違うけど)と聞いているが、それをメンバーの一人が考えて、他のメンバーと調整して、最終的な形にするというのは、聞いたことがない。10代の女の子にそこまで責任を負わせる周りの大人の覚悟もさることながら、それを負い続けている水野さんの覚悟も相当なものだと思うのだった。

 

「心がこもっている」というと陳腐な表現になるが、この日ずっと感じていたのは、やる側の「心」が常に身近で、それで押し付けがましくも無く、お行儀よく寄り添ってくれているような、そんな想いだった。

 

一方で、彼女らがこなすステージは非常に激しい。

 

You Tubeや様々なお話では聴いていたさくら学院のライブ。相当凄いというのは聞きかじりで知っていたはいたが、実際体験してみるととてつもない。結論を先に言えば、尋常ではない娘たちの「尋常ではない」部分を見せつけられた思いだった。さくら学院の「生歌」へのこだわりの強さは各種映像作品でも観てきたつもりだったけど、生で見るととんでもないことだと分かる。彼女らは、難しい振り付けをこなしながら、強く大きな声で歌う。歌もダンスも、100%。キラキラ笑顔も100%。合計300%のティーンエイジャー。曲が終わる度に息を整えたり、水分を補給する姿は、その内容が過酷なものだということを表しているようだった。(僕なら1分で倒れるだろう・・・誰も見たくはないだろうが)

 

彼女らが影で積んでいるであろう練習や努力の質と量の物凄さが、ひたむきさが伝わる思いだった。

 

以前にも書いたが、さくら学院は中学3年の3月(つまり義務教育終了)と同時に「卒業」という決まりがある。この10人でライブをやるもの、今回の3/26を除いたら卒業式のみ。「やる側」な想いが痛いほど伝わる。限りがあるからこそ、何かを残そうともするし、懸命に伝えようと努力する。限りあるものの、純粋さ、必死さはとても眩しい。

同時に、そこに大きな感動と「未来」を感じる。彼女らはまだ、十代ある。この日に語られた「夢」を誰しも持っている。そういう意味で、さくら学院は「通過点」でもある。この事実は、少なくとも僕のような「俄か」には戸惑いを感じるが、今の彼女らの「姿」をしっかりと心に刻み、その「夢」が叶うことを見ていたいし、今いる子達の成長を見守りたいという、これまでに無い不可思議な気持ちを強く感じるのでした。

 

 

【セットリスト】

01. ベリシュビッッ
02. 負けるな!青春ヒザコゾウ
03. ご機嫌!Mr.トロピカロリー
04. FLY AWAY
05. I・J・I
06. オトメゴコロ。
MC.
07. マシュマロ色の君と
08. さよなら涙
09. アニマリズム
10. Hana*Hana
11. Message
>アンコール
E01. 君に届け
E02. FRIENDS

 

 

※最後に、この日のチケットを親切に譲ってくれたまこさんに、心から感謝申し上げます。

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1/3 PUNHALADA@大塚MEETS

1月頃の更新で、個人として参加したライブについてあれこれ記述する、みたいなことをお知らせしましたが、その第一弾です。今回は2015年1月3日に大塚MEETSで観たPUNHALADAのライブについて。

PUNHALADAは、スラッシュメタルのバンドで、男性3人組。奇しくも僕らヴードゥ・ダック・スターズと同じ編成。

ギター&ボーカルのIWANE氏は大学の先輩でもある。

個人的にはメタルのバンドのライブにはあまり縁がなかったので、果たしてきちんと楽しめるかどうか・・という思いは当初あったけど、名古屋からツアーでやってくるし、生で体験できる機会はそうそうないので、観に行かせてもらうことにした。

久しぶりの大塚。懐かしい街。この隣の巣鴨に約8年住んでいた。だいたい勝手はわかる。でも、大塚MEETSがわからない。昔、同じ場所に別の名前のライブハウスがあった記憶が・・・と思い行ったら、同じ場所。名前が変わってたのね・・・

さて、ホールへ。酒とタバコの香りが入り乱れる、暑苦しい空間。ライブハウスそのもの。企画物らしく、いくつかの対バンさんも出演していた。皆、色とりどりの魅力的な音の渦を作り出していた。

やがて場はPUNHALADAのライブに移り変わる。

その内容は、想像を絶した。

3人とは思えないほど、重厚で、硬質な音。難解なヘヴィリフを刻みながら、言葉を吐き散らすギター&ボーカル、タイトでソリッドなリズム隊。まるで無駄の無い、シェイプされた肉体のような、有機的な躍動感。

「メタルとはこういうものかぁぁぁぁぁ」という濃厚な内容。30分くらいだったかな?時間の感覚が無くなるくらい、熱くて楽しくて、激しいライブだった。

ライブ後、久しぶりにお会いした先輩は、当時の面差しを残しつつも、とても鋭いいい顔をしていた。音楽をやり続ける、音を出し続ける。そういう信念と自信がにじみ出ていた。お話をしていて、そういう気持ちを少し分けてもらえたような気がした。

ヴードゥ・ダック・スターズはかれこれ活動休止だけど、音を出す、模索する方法はいくらでもあるし、諦めるなんてありえない。僕自身も、早くそこに戻れるよう、がんばっていかなくてはいけない。

帰り道、首の筋肉痛に苛まれながら、そんなことを考えていた。

 

 

本当に、素晴らしいライブだった。

 


世界の真ん中 – THE BLUE HEARTS

久しぶりの連日更新。突然の新コーナー、「好きな曲」シリーズ第一回!

このコーナーでは、俺たちの誰かが「好きだぜこの曲」っていうのを語ります。

ということで第一回は

「世界の真ん中」(THE BLUE HEARTS)

 

 

「世界の真ん中」は、このアルバムの中で俺が一番好きな曲。出会いは13歳。当時仲の良かった友人のS君に教わった。

S君はヤンキーだった。対する俺は、普通の中学生。だが、不思議とウマがあって、良く二人でふらふらしてた。変な髪型のガキと普通のガキ。ミスマッチな二人。彼はヤンキーだから喧嘩もする。けど、暴れた後に後悔しているのを何度となく見た。人を傷つけてしまう自分に自己嫌悪を催す。凶暴な自分と繊細な自分が混沌としている男だった。

そんな奴がある時貸してくれたのがTHE BLUE HEARTSの「THE BLUE HEARTS」。彼曰く「すっげぇいいよ、何度も泣いた。俺の宝物だ。割ったら殺す」(最後の一言さえ無ければいいことを言ったのに、という感想を持ったのはいうまでもない)ということなので、早速家で聴いた。

S君の言うことは、間違っていなかった。「音楽で泣く」という経験ははじめてだった。あっという間に好きになって何度もリピートした。その度に、感動した。中でも何度も聴いたのが「世界の真ん中」だった。

まだ曲がどうとかそういう聴き方できない時期だったから、歌詞・言葉がダイレクトに響いた。

 

朝の光が 待てなくて 眠れない夜もあった
朝の光が 待てなくて 間違った事もやった
僕が生まれた所が世界の片隅なのか
誰の上にだって お日様は昇るんだ
川の流れの激しさに 足元がふるえている
燃える炎の厳しさに 足元がふるえている
僕が今見ているのが世界の片隅なのか
いくら捜したって そんな所はない
うまくいかない時 死にたい時もある
世界のまん中で生きてゆくためには
生きるという事に 命をかけてみたい
歴史が始まる前 人はケダモノだった

 

朝の光が待てない自分。生きる意味とか考えてもよく分からない自分。とにかくデカすぎる世界を何となく感じる時。狂おしい時代。13歳の俺。25年経ったけどよく覚えている。この歌聴いて、自分の心みたいなものが沸騰した。うぉおってなった。世界がオールカラーになったように感じた。聴くと今でもそうなる。刻まれている。

 

俺、ここからはじまった。音楽大好きになった。んで今でも色んなの手当たり次第聴いている。最高の出会い。

 

力強い歌。強烈な衝動。興味があれば是非。

 

 

 

 

 

 

※以下こぼれ話。

S君とは中学卒業後、疎遠になる。彼は中学出て早々に勤めて忙しくしてた。でも、地元の駅前とかでたまに会うと「おお」とか「よお」と話す。お互い、昔からあんまり喋らない。結婚して子供もいるらしい。昔と変わらない照れ臭そうな笑顔。そしてとても良い「男」の顔。彼が「世界の真ん中」で堂々と生きていることが、とても誇らしい38歳の俺。

 

 


お知らせ

非常に遅まきながら、7月20日のレポをアップしました。

こちら

 


旅する日々

今年の12月は旅が多い。

12月3日の豊橋を皮切りに、札幌・大阪・岡山など。先週も火曜日の京都をスタートに伊丹・岡山・明石・大阪と回って土曜日に帰宅。

旅といっても、所謂お仕事の旅。時間的な制約や、東京の積み残しの対応など、結構痺れる場面が多いから、疲労感やストレスは正直ある。昨日の夜帰宅して今朝まで12時間眠ったのは多分その証左。

有意義な点ももちろんある。色んな町に行って、色々な人と話をして、考えやアイデアを理解して・・・これらの経験は自分を磨いてくれるものだと思っている。

そして、今いる(時間・空間両面の意味が混在した概念としての)「場所」についての感覚が新鮮になるということ。これはしばらく今いる「場所」から遠ざかってみないと感じられない。人間は自分の生活に慣れ、それが「当たり前」という感覚を覚えたときに飽きはじめる。はっきりいって贅沢病。そしてそれは自分にも明確に存在する。

今いる「場所」は本当に素晴らしくて、心地いいものだということを旅は常に再確認させてくれる。日常に瑞々しさが蘇る。言い尽くされた結論だからこそ、説得力を持つ感覚だと実感する。

まだ少しこの旅は続くけど、日常への帰還を何度も何度も味わいながら完走したいと思う。

 

そういえば12月はヴードゥー・ダック・スターズが産まれた月。今年で2歳になる。今の自分も含め、メンバー各々が人生の修行(?)を経て、もっともっと強く激しいバンドになって、必ず帰還する。その日まで、少し待っててください!


国歌

国歌は、「国の歌」。その国を最も象徴するもののひとつ。

 

アゼルバイジャン共和国という国がある。旧ソビエト連邦所属。中央アジアにある国。この国の国歌が実はもの凄くカッコいい。

どこかのサイトでは「RPGっぽい」と言われていたが、本当にそう思う。アレンジも、メロディも劇的で狂おしい。アゼルバイジャンについて僕の持ち合わせている知識なんてほとんどないけど、こんな熱い音楽を国歌にしてしまう素敵な国民性(文化的感性)には興味が湧く。

国歌の成り立ちには様々あるけど、大枠は「行進曲」とか「賛美歌」が多いとか。賛美歌風のものでカッコいいのはサンマリノの国歌

もの凄く美しいハーモニーでうっとりしてしまう。サンマリノがでっかい教会であるかのような錯覚すら起こさせる名曲。

あと、セネガルの国歌もいい。

何だか雄大。スケールの大きさと力強さがある。ユッスー・ンドゥールの原点はこういうところか!?という感じ。

さて、かつて作曲家の團伊玖磨は国歌の条件として「短い事、エスニックである事、好戦的でない事」ということを挙げ、君が代やドイツ国歌、英国国歌を白眉として挙げたとか。

というわけで、君が代。

敢えて雅楽バージョン。所謂他の国の国歌がテンションの高い方で突っ走っているとするなら、わが国の君が代は、それと逆の立ち位置。「静寂」を基調とした「美しさ」みたいな所に身を置いている。そこはやっぱり日本らしい曲っていうことなんだろう。雅楽のインストにすると、その点がさらに浮き彫りに鳴る気がする。

 

 

国歌を通してその国を眺めると、実にいろんなものが見えて来て楽しいっていうお話でした。

 


車窓

 

 

今日は出張で大阪でした。

車窓が大好きで、ぼーっと見てるだけで楽しい。

動画は、関ヶ原過ぎたあたりで何となくカメラ回したのに、同じく大好きなジュディマリをくっつけてみた。京都の手前だったから、曲も「kyoto」。

 

 

想像力を駆り立てる存在には、惜しみない尊敬。ジュディマリは、リアル。

そして、名古屋の大雨もリアル。

世界には、いろんなリアルがはびこっている。

車窓は、そんなリアルをいつでも柔らかく表現する。