2014

ども。皆様、こんばんは。ヴードゥー・ダック・スターズのベース弾きです。皆様、どんな体勢で正月をお過ごしでしたか?僕は「旅する日々」から数えてこんな日々を過ごしました。

 

12/27 仕事納め→発熱と悪寒のため病人に擬態する。

12/28 素敵なお客様あり。薄めのお湯割りで失礼なく応対するが、21時過ぎに昨夜の悪寒が帰宅したため、一日を終えてしまう。

12/29 ラーメン食って本を買って寝る。

12/30 夜、 大学時代の素敵な先輩方と忘年会。楽しかった!が、独りになった瞬間悪寒に取り付かれ、一日を終える。

12/31 遅まきながら年末の準備。夜はジルベスターコンサートを観て感動する。

1/1 初詣の後、埼玉県北本市に帰省。このあたりから体調うなぎ上り。

1/2 昼は箱根駅伝(往路)をテレビで観る。母校の勇戦ぶりに熱が上がる。夜は楽しい後輩たちと大騒ぎ。

1/3 昼は箱根駅伝(復路)。母校の潔い逆転負けに脱力。以降、記憶喪失。

1/4 あけおめセッション

1/5 ふらつく

 

休みに入る前は労働に時間を費やさざるを得なくて、練習や自分の時間が奪われていた。あり得ないくらいフラストレーションが溜まったけど、多少は借りを返せたか。特に12/29にまとめ買いした本やクラシックを多少は堪能する機会を確保できたことは有意義だった。

中で印象的だった本。

詩を読む人のために (三好達治著、岩波文庫刊)

詩人の三好達治さんが詩をはじめて読む人向けに書いた本。詩人が様々な詩人の作品を例に挙げて読み解き方とかをわかりやすく伝える、というアプローチも面白いし、内容も本当にわかりやすかった。多分ここから色々広がって行く。そんな幸せな手応えを得られた一冊でした。

心病める人たち―開かれた精神医療へ (石川信義著、岩波新書刊)

ちょっと昔の本。こっち方面への問題意識もあるもので・・・。精神科医自身が綴る失望と戦いの体験と、日本の精神医療の「構造的な問題」を告発する問題作。読み進むにつれ、僕の気持ちがダークサイドに落ちて行く音が聴こえたが、その「感覚」こそ真実に対する理解の手がかり、と少し時間を経て思う。作者がこの本に込めた思いには、真摯に向き合えたかな?ざっくばらんであっけらかんとした著者の「語り口」には救われる想いがした。

他には中原中也の詩集とか、論語とか。選は今まで自分が触れて来た音楽や文芸作品、或は社会そのものについて、もっと深いところで理解したいという至極単純な欲求に基づいている。従って作品に取り留めはないが、この知識の海にしばし惑溺したいというのが目下の純粋な欲望。知識の苗床から咲く花の名前よりも、土壌を豊かにすることに関心がある。そんなところでしょうか。

 

というわけで、2014年はひとまずスタートしました。ヴードゥー・ダック・スターズは、今はメンバーがそれぞれの局地戦のただ中にある状況ですが、それをしっかり片付けて、一人一人がさらに強くなって戻る予定です。さらにドデカクてぶっとい音を出せるようになるので、その姿を心待ちにしていてください。

今年も、よろしく!!!!!

 

 

 

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旅する日々

今年の12月は旅が多い。

12月3日の豊橋を皮切りに、札幌・大阪・岡山など。先週も火曜日の京都をスタートに伊丹・岡山・明石・大阪と回って土曜日に帰宅。

旅といっても、所謂お仕事の旅。時間的な制約や、東京の積み残しの対応など、結構痺れる場面が多いから、疲労感やストレスは正直ある。昨日の夜帰宅して今朝まで12時間眠ったのは多分その証左。

有意義な点ももちろんある。色んな町に行って、色々な人と話をして、考えやアイデアを理解して・・・これらの経験は自分を磨いてくれるものだと思っている。

そして、今いる(時間・空間両面の意味が混在した概念としての)「場所」についての感覚が新鮮になるということ。これはしばらく今いる「場所」から遠ざかってみないと感じられない。人間は自分の生活に慣れ、それが「当たり前」という感覚を覚えたときに飽きはじめる。はっきりいって贅沢病。そしてそれは自分にも明確に存在する。

今いる「場所」は本当に素晴らしくて、心地いいものだということを旅は常に再確認させてくれる。日常に瑞々しさが蘇る。言い尽くされた結論だからこそ、説得力を持つ感覚だと実感する。

まだ少しこの旅は続くけど、日常への帰還を何度も何度も味わいながら完走したいと思う。

 

そういえば12月はヴードゥー・ダック・スターズが産まれた月。今年で2歳になる。今の自分も含め、メンバー各々が人生の修行(?)を経て、もっともっと強く激しいバンドになって、必ず帰還する。その日まで、少し待っててください!


鴨の覚悟

人前で楽器を弾く事とか、ライブをやることについて、世の中には様々な意見がある。大体はポジティブなものだけど、中には「どうしてそんなことをやっているんだ」っていう意見もある。つきつめると「お前みたいなヤツが、人前で、しかもお金を取って演奏する。道理がおかしいのではないか?」ということが言いたいらしい。これに対して、長年自分の中には反論する言葉が無かった。自分の正当性を説明できない。

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「好きだから」と言う話。間違いも嘘も無い。純粋に「好き」っていう気持ちは説明できる言葉。しかし、好きだけじゃ恋愛だって発展しない。そもそも、「好きならタダでやれや」っていう二の矢に対しては、答えられない。

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この手の批判や悩みは、こういう活動の付き物みたいなものだ(と俺は思っている)から、整理しておくことは大事だと思う。生活の中で、自分の音楽が危うかった時代がある。そういう時、ズシッと来る。しまいには、自分が自分を追い込んで非難されている錯覚にとらわれる。自分が自分の活動を評価しない(できない)暗闇に陥ってしまう。自分や他人も含めて「批判」に対して「反論」が出来なくては、負けと同じ。

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俺のやっている音楽とか、表現活動は、特別な教育を受けた誰かのものではない。(音楽の側にはこう考えていない輩もいるけど。)主たる表現者になる権利や資格は、誰にでもある。それは、他人がつべこべ口を差し挟むことではない。「表現」によって生じる「良いか悪いか」は「結果」。「結果」には「評価」が伴う。その「評価」を推し量るひとつの材料として「お金」があると考えている。あらゆる社会的な活動と何にも違いは無い。

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いい結果を得られるように、俺たちは毎日練習もするし、曲も作る。大勢の人からポジティブな評価を得られることは、何者にも代え難い実り。「良い」とか「カッコいい」とか「うねうねしてる」って言われるために生きているようなもんだ。評価を他者に委ねるつもりはない。だけど、音楽で得られる評価は、びっくりするぐらい的を射たものが多い。ネガティブな評価の中には学ぶ事、克服するヒントが詰まっている。スタジオに籠って曲をインターネット経由で発信し続ける方法のあるけど、ライブで生で観てくれた人、聞いてくれた人の評価は、本当に勉強になる。

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だから、俺たちはライブをやる。もちろん、今後もチケット代と無縁でやるライブは数多くはないけど、まずはお金を払って観に来たいと思えるか。そこから俺たちへの評価が始まっている。「観に来ない」っていうのは確かな評価。ライブが今の俺たちの活動に対する承認の場であり、検証の場である。ここを軸に、様々な感情のやりとりがなされる。人前でやることには、充分過ぎるくらい意味がある。

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自分たちの活動や音楽を人前に晒すっていうのは、それなりの覚悟がある。自分の作った曲やフレーズは自分の子どもみたいに可愛いけど、酷評されることだってある。正直、傷つく。だけど、そこで落ち込んで突っ伏したままか?膝を払って立ち上がるか?俺たちは、後者の道を選び続ける。多分何度でも立ち上がる。時間がかかることもあるけどね。

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鴨は水面はのんびりしているように見えるけど、水面下ではじたばたじたばたしながら生きている。鴨として生きる覚悟を負って。

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なんていうお話でした。笑い無しでゴメンナサイ(笑)

申し訳無いついでに、可愛い鴨の動画をご覧ください・・・

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孤独のビート。

どうしようもなく寂しくて、自分がひとりぼっちで、助けもない、寒い。そんな気持ちに文学的な名前をつけたのが「孤独」なんだと思う。

 

自分と周囲の関わりが見えなくなるくらい、霧が深くなっている。ひょっとしたらそれだけのことなのかも知れないのに、深刻になる。

でも、ひとりぼっちなんてのは錯覚。俺たちは実に色んな人たちのお世話になって生きている。コンビニにも、ファミレスにも、それはある。

 

ステージで音楽を演奏していると、時々見えなくなる事がある。

とても楽しい筈なのに、ふっと覆いかぶさる不安。

 

 

自分の演奏は良いのか悪いのか。

悪い方に進んでいるのに気づけていないだけなんじゃないか。

俺はいま。外しているんじゃないか。

 

 

漠然とした不安は、自分が孤独であるかのような錯覚をもたらす。

 

 

だけどその度に、もの凄いビートや、つんざくようなギターの音で、一発で目を覚ます。祐介や、上村の音で我に返る。

 

 

そう、やっぱり孤独は錯覚さ。見えないならば、聴けばいい。

 


皆様感謝!!!

ヴードゥー・ダック・スターズ主催スタジオイベント「鴨の恩返しVol.1」、無事終了しました。

お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。

また時間の関係上お越しいただけなかった方、ごめんなさい。次もありますので、そのときはまたよろしくお願いします。

さて、このイベントは、当バンドのギタリスト石井祐介くんのスタジオ「フルハウス」を舞台に、いつも僕らの近くにいる皆様に、僕らなりに感謝の気持ちを表したい、という気持ちからはじまりました。でも、神妙な空気にはしたくないし、単なる飲み会では物足りない。音楽と酒とはじめましての雰囲気のないまぜになった空気感。そんな場で楽しんでもらいたいと思って、メンバー一同準備をしてきた次第です。

もしも、楽しんでいただけたのなら、本当にそれだけで僕らは報われます。

これからも、もっと面白い企画を打っていきますので、またよろしくお願いします。

さて、次はまた僕ら、ライブやります。詳細は未定ですが、12/5頃になるものと思われます。

おそらくこれが年内最後。すぐにお知らせしますので、またよろしくです!!!!


正しい表現と伝わる表現

一般的に正しいとされている表現が、「伝わる」とは限らない。

この間、電車の中でとある広告を見て考えた。

その広告は、ある大学のもので、「なりたいものは、小学校教諭の私」みたいなコピーが使われていた。

 

・・・違和感。

 

ビジュアルは、もっと等身大で身近なイメージのものを志向しているのに、言葉が堅すぎる。

というか、「小学校教諭」は表現としては無理がある。普通は「小学校の先生」くらいだろう。

 

説明として正しいものは、「小学校教諭」なんだろう。だけど、その言葉を使う事によって、表現の中の大切なエッセンスを奪ったように思える。

教諭なんて、普通は使わないような縁遠い言葉を選んだことによって、その広告自体が本当は伝えたかったメッセージも伝わりにくくしている。

表現としては「正しい」筈なのに、「伝わらない」表現を選んだってことだ。

 

音楽でも、往々にして同じようなことがあって、音楽理論上は間違い(或は理にかなっていないとされる表現)でも、それが「良い」と思えてしまう事例は数多くある。

もっと言えば、演奏なんかむちゃくちゃなのに、妙な感動を呼ぶような表現だって数多くある。

 

そもそも人間の感情自体、合理的な説明もできないいい加減なものである以上、主観に依存する表現が「正しい」なんてこと自体多分おかしいことなんだと思う。

表現が「正しさ」という言い訳を見いだしたとき、或はそこに壁が産まれるものかも知れない。

 

 

あああ、眠い。もう寝よう。

 

あ、鴨の恩返しもよろしくです。11月10日!

 

 


都会の野鳥

巣鴨に住んで今年で7年目。池袋もほど近い大都会だけど、実は驚くほど野鳥が多い。
理由は、近所に染井霊園という大きな墓地があるからだろうけど、今更ながらその種類の多さにびっくり。

都会の野鳥といえば、
ハシブトガラス

スズメスズメ

カワラバト

この3羽は誰でもすぐに想起するでしょう。巣鴨あたりも多いです。
ところが、大きな霊園は野鳥達のオアシスなのか、これ以外にもかなりいろんな種類が住んでいます。

メジロ、シジュウカラ、ムクドリ、ウグイス、ホオジロ・・・声だけですが、この1年くらいで確認できたのはこれだけの種類にのぼります。

都会には何も無いんじゃなく、何も気づかないのは案外そこで暮らす我々かも知れませんね。
東京の町中のちょっと大きめの公園とか神社とか。
そういう場所は案外野鳥のちょっとした住処になっているかも知れません。
息抜きしたいときや気分を変えたい時、行ってみてはいかがでしょうか。

さて、11月10日はヴードゥー・ダック・スターズのスタジオイベント(パーティ)「鴨の恩返しVol.1」。
既にリクエストもぽちぽちいただいています!
酒あり、音楽ありの楽しい一時を創出したいと思っております。
気分が(多分)変わります。きっと、晴れると思います。
そういう意味では僕らは野鳥です!!!!!

是非、皆様奮ってご参加ください!!!!
鴨の恩返しの詳細・会場などはこちら
鴨の恩返し